2023年 ロンドン大学・英語音声学夏期講座に参加して

Summer Course in English Phonetics: VSCEP 2023

8月14日 (月) ~18日 (金) の5日間に渡って開催された VSCEP (Virtual Summer Course in English Phonetics) も無事に終わりました。全体の構成は昨年と同じで、参加人数は80数名と昨年と比べると1割ほど増え、内、日本人は10数名で1割弱を占めていました。主催者の冒頭の挨拶で、来年は本来の対面方式に戻す方向で検討が進んでいること、また、その場合でも何らかの形でオンライン形式の催しを残したいと考えているが、具体的なことはまだ何も決まっていないとのアナウンスがありました。

 

以下、簡単に備忘録として、今年の印象を記したいと思います。期間を通じた時間割(日本時間)は以下の通りです:

19:30 - 20:10  講義 1 (子音・母音)

20:20 - 21:00  講義 2 (イントネーション)

21:10 - 22-10  Practical Class (実践クラス) 

22:20 - 23:05  Ear-training (発音記号でのディクテーション)

 

8月14日(月) 初日

講義1: Introduction and Consonants 1, by Geoff Lindsey

講義2: Tonicity and the Nucleus, by Kate Scott

 

講義は1、2ともに昨年と同じ内容でした。事前に pdf 形式で配布された約80ページのテキストも前年と同じ内容です。

5~6名から成る本講座の売り物の一つである Practical Class(少人数の実践クラス、以下PC)は、14クラス設けられました。私のグループは全員が、何らかの形で英語を教えている講師・教師から成るグループで、日本2名、中国、ロシア、ウクライナ、国籍紹介なし各1人、の計6名でした。国の名前だけを見ると、何となく昨今の国際情勢をイメージしがちですが、VSCEP に参加するメンバーは、全員が英語・言語・音声という共通のテーマに対し関心がある者たちであり、期間を通じて同好会のような和やかな雰囲気でした。Tutor は一昨年と同じ Shanti Ulfsbjorninn で、意外にも私のことを覚えていてくれて嬉しく思いました。

 

今日の PC では、SSB (Standard Southern British) の母音を詳しく学びました。SSB とは、やや古臭いイメージがある RP (Received Pronunciation) に取って代わった現代版 RP のことです。大収穫だったのは、/i:/ = /ɪj/ を Shanti の迫力あるモデルをお手本に練習できたことです。Shanti の /ɪj/ は摩擦音が生じるギリギリ手前の /j/ で終わる二重母音のイメージがするのに対し、私の /ɪj/ は発音記号 /i:/ にやや引きずられすぎた為か、やや単母音的な音だったので、そこを繰り返し練習し、新しいイメージを築くことができました。また、Shanti が繰り返し強調していたのは、単語をいう場合でも "contour" (a way in which something varies, especially the pitch of music or the pattern of tones in an utterance) を忘れないように、ということです。

 

続いて /u:/ = /ʉw/、happy などの語尾 /i/、 /ʊ/ = /ɵ/、/ɔː/ = /oː/、/ɒ/、/ɑ:/、/ɜː/ を、shanti からの「舌はもっと、上・下・前・後、口をもっとまるめて!」等のアドバイスを受けつつ、各メンバーが練習を繰り返しました。

 

本日、最後のクラスは Ear-training (発音記号でのディクテーション、以下 ET) です。講義形式は去年と同じで、初日のみ7つの Non-sense words 、続いて Broad Phonetic Transcription のディクテーションが行われました。担当は Jane Setter 教授です。リアルタイムでの発音記号ディクテーションの機会は、私にとっては本講座だけなので、期間を通じて大変有用な講義でした。ただ、講義終了が日本時間の夜11時過ぎと夜遅く、講義には全神経を集中して臨むため、頭が冴えきってしまい、なかなか寝つけないことには、やや困りました。

 

冒頭にも記した通り、本講座は来年からは通常運営のロンドンに集う対面方式に戻る方針とのことですが、この Ear-training はオンライン形式との相性が大変いいので、来年以降も継続されることを希望したいと思います。

 

8月15日(火) 2日目

講義1: Consonants 2, by Luke Nicholson

講義2: Nuclear Tones, by Geoff Lindsey

 

PC では、講義2で学んだイントネーションの核について、さらに理解を深める練習が行われました。面白かったのは、

・Can I put this bag on the table, Val?  Certainly, Peter.

・Move those books out of the way.

という2つの文章を、各参加者が順番に、自分ならこの様なイントネーションで読む、と順番に読み、他の参加者がその IP (Intonation Phrase: 一息で読む文章のまとまり) の構成を分析し、受けるニュアンス・印象を話し合う、という演習です。

 

IP の構成とは、核を中心とした、頭部、前頭部、尾部といった部分の組み合わせパターンなのですが、当然、メンバー毎に異なり、従って話者が意図するニュアンスや、聞き手が受け取るニュアンスも、グラデーションのような濃淡の違いが生じてきます。Shanti も、受け取ったニュアンスを言ってくれるのですが、「このイントネーションパターンならば、この意味になる」といった明快な解釈ルールが存在しないのが、イントネーションの面白い点でもあり、難しい点であることが、よく理解できたセッションでした。このような演習が、信頼できる音声学者の下で行えるのも、この講座の魅力と思います。

 

Jane による ET は、毎回、新しい気付きがあります。あやふやであったり、忘れかけていた点が、間違えることによって容赦なく曝け出されるので、買ったままで「積ん読」状態になっている専門書に早く取り掛かからなければ、というやる気を起こさせてくれるきっかけにもなりました。

 

8月16日(水) 3日目

金曜日にある Q&A セッションに取り上げて欲しい質問の締め切りが日本時間24:00なので、あらかじめ考えておいた質問を9つほど、指定された SNS に投稿しておきました。Geoff や Jane のような著名な音声学の専門家たちから、信頼のおける回答を得られる Q&A セッションも、本講座の大きな魅力です。SNS に投稿された質問数は約50個でした。SNS への投稿なので、他の参加者たちがどのような疑問を持っているかもわかり、参考になりました。

 

講義1: Vowels 1, by Geoff Lindsey

講義2: Prenuclear Patterns, by Jane Setter

 

PC では、講義1で学んだ SSB の母音体系について、更に詳しい説明と演習が行われました。これは Geoff の著書である "English After RP" や、blog "The British English vowel system" 、講義1でも紹介された YouTube 動画 "Why these English phonetic symbols are all WRONG" に詳しい解説がある分類方法で、従来の短母音、長母音、二重母音の代わりに、Checked Vowels、Long Vowels、Free Vowels という、SSB の実態により即した概念に基づく分類方法を指します。Checked とは、sit, put のように必ず子音を後に伴って (= checked) 単語を終わらす母音、Long Vowels とは linking-r を伴える母音、Free Vowels とはそれ以外の、自由に ( = free) どこにでも出現できる動詞、というような意味です。PC では、SSB からさらに変化が進行中である、30才以下の若者たちの間で多用されつつある、二重母音が長母音のように発音される smoothing 現象や、逆に一世代前のやや古風な RP 発音の音色も Shanti が実演してくれました。信用のおける音声学者から、この様な内容を聞けるのも VSCEP の特徴と思います。因みに私のレッスンも、母音・二重母音の説明は、この SSB 母音体系に全面的に切り替えました。

 

さて、今日、講義が始まる前に投稿しておいた質問の一つに、「John Wells 教授が考案した "Lexical Sets" の単語はどの様して選ばれたのか」があります。"Lexical Sets" とは、母音 /ɑ:/ ならば PALM,  /i:/ ならば FLEECE という具合に、ある特定の母音を表す際に符号のようにあてがわれた単語のことです。他には /ʌ/ は STRUT、/æ/ には TRAP というように、やや馴染みが少ない単語が採用されており、以前から不思議に思っていました。私の投稿を見たのかは不明ですが、Shanti は PCで Wells 教授の blog を紹介してくれました。答えはこの blog の終わりにありました。以下、引用します:"I took great care in the choice of suitable keywords. I wanted words that could never be mistaken for other words, no matter what accent you pronounced them in." つまり、英語には国・地域ごとに様々なバリエーションがありますが、これらに関わらず英語ならば普遍的に対応している単語が選ばれた、ということです。この blog では、私も持っている Wells 教授自身の著書である Accents of English 1 にも言及されていたので、改めて参照してみたところ、p.123 に更に詳しい説明がありました。「灯台下暗し」のような話でお恥ずかしい限りです。

 

今日の ET では、ディクテーション文に、1. rhythmic stress (強めのビート、かつ、ピッチの変化が聞こえる音節) に印をつけ、2. 核音節に下線を引くこと、という指示が Jane からありました。このように ET では、日毎に順を追って、行うべき作業が増えていきます。また、前年度まで度々、間違えていた同化 assimilation (例えば ten most は、/ten məʊst/ ではなく、/tem məʊst/ の様になる現象) のミスが大分減ったのは、自分でも進歩が実感できました。

 

8月17日(木) 4日目

講義1: Vowels 2, by Joanna Przedlacka

講義2: Making and hearing whole tunes, by Jane Setter

 

本日のPCも、講義1・2で扱われた項目に関しての質問を Shanti がメンバーから募ることから始まりました。Joanna の講義1では、RP と SSB の母音の音色の変化を、1950年代の英語教材であるリンガフォン (?) からの音声と、映画「ハリーポッター」からの音声クリップとの比較を通じて学びました。

 

「Anyone for Denis?」

私が尋ねてみたのは、"Anyone for Denis?" という、超マイナーなイギリスの風刺コメディー映画に出てくる人物の RP アクセントについてです。この映画を知ったきっかけは、イギリスの新聞 The Times の訃報欄です。イギリスの新聞の訃報欄は、著名人の場合、紙面見開きの半分くらいのスペースを使い、故人の生い立ちや業績などを詳しく紹介するので、これを読むと自分が知らなかったイギリスの社会・文化・歴史などをより深く理解する切り口となるので、よく目を通しています。"Anyone for Denis?"  は、イギリス・シットコムの名作である To the Manor Born の名脇役である Angela Thorne (緑色の服を着ている方の女性) の訃報を読んだ際に、彼女の出演作品を調べていて偶然知った作品です。

 

まず、"Anyone for Denis?" というタイトルですが、これは英語の言い回し "Anyone for tennis?" に引っ掛けたものです。テニスは上流階級のスポーツであるというイメージから、このフレーズには  "a phrase used to invoke a stereotype of shallow, leisured, upper-class toffs" すなわち「上流」階級という名称とは裏腹に、愚かで底の浅い貴族を連想させる二重の意味があります。Monty Python モンティ・パイソンのスケッチに、このフレーズのイメージがよくわかるシーンがあります。

 

さて、この映画では Angela Thorne が、イギリス首相であったサッチャー氏を本物と見紛うばかりに見事に演じているのですが、問題はその夫である Denis Thacher を演じている人物が話す RP の種類です。Denis は非常にクラシカルな響きがする RP で話すのですが、いったいこれは演技上の架空アクセントなのか、それとも実際に存在する RP なのか、が分からず、ずっと気になっていました。PC の場で尋ねて良いのもなのか、少し躊躇しましたが、RP と SSB の違いに関連する話題でもあり、信頼できる音声学者に尋ねる機会など滅多にないので、Shanti に許可を得て、iPad であらかじめ用意しておいたシーンを少しだけ再生して、音声を聞いてもらいました。

 

すると Shanti によれば、これは、"RP from days gone by" であり、非常に郷愁を感じさせるアクセントでもあり、"It does exist within certain age class and very authentic" とのことでした。ただし今となっては、"too posh, performative and not natural anymore." とも言ってました。ということで、これは実際に存在する RP ということがわかり、心のモヤモヤ感が消えました。なお、本物の Denis Thatcher 氏はこのような RP アクセントで話されていました。

 

 (話はずれますが、この  "Anyone for Denis?" で女性将校役を演じている Joan Sanderson の最大の当たり役は、イギリス人なら知らない人はいないであろうシットコム "Fawlty Towers" での Mrs Richards だと思います。このシーンは何回見ても、笑ってしまうのですが、英語のイントネーションを学ぶには、会話の文脈が良くわかる、こういったドラマや映画で学ぶのも大変有効な方法と思います。何回も笑っているうちに、そのセリフや情景と共に、様々なイントネーションのパターンも否応なしに記憶に残るからです。)

 

「Jacob Rees-Mogg」

話を戻します。"Anyone for Denis?" から話題が広がり、Shanti によれば「イギリスの現職政治家で中で最も古風な RP を話す政治家」である Jacob Rees-Mogg の動画を Shanti がシェアしてくれました。この中で Shanti が皆に注目させたレポーターの質問があります: "What class are you?" つまり、レポーターは Jacob Rees-Mogg が upper-class (上流階級) でないのを、百も承知の上で、あえて彼の出自を訪ねているわけです。Jacob はそれには正面から答えず、「自分はサマーセット出身だ」とはぐらかします。

 

レポーターは更に、Shanti の表現では "going for the jugular" 頸静脈に切りかかる、つまり、急所を突くコメントをします: "I would say, this would probably hurt you, I would say, sort of upper-middle rather than upper" (お気持ちを傷つけるとは思うが、貴方は上流階級というよりは、いってみれば上層中流階級ですよね)。Shanti の説明では、これはイギリス人だったら誰でも  Jacob Rees-Mogg に対して抱く感想、つまり、「上流・貴族階級でないのに、何故、そんな気取った posh な RP アクセントで話しているのか?貴方のアクセントは分不相応と思う」ということを遠回しにいっている訳です。言い換えれば、上流階級の真似を必死にするのは、貴方が中流階級である証拠そのものである、という大変、キツいコメントな訳です。

 

続いて Shanti は Jacob Rees-Mogg の RP アクセントのどこが、時代掛かっているのかも、説明してくれました。最大の特徴は、完全に脱力・リラックスした、Shanti の表現を借りれば "no muscle effort whatsoever" な発音とのことでした。貴族は働く必要がないので、このような脱力した、もごもごするような発音になったとの説もある、とのことです。他には dynasty /ˈdɪnəsti/ の語尾母音が弛緩母音の /ɪ/ になった/ˈdɪnəstɪ/ で発音され、here /hɪə/ が smoothing がかかった /hɪ:/ のような発音になっていること、そして true /truː/ の /u:/ も非常に弛緩された発音である、なども説明してくれました。イギリスにおける階級制度と、それと密接なかかわりがある話者のアクセントについて、改めて認識させられた Shanti の話でした。

 

階級とアクセントの関係について、Shanti は更にこの様にも言っていました:「初対面のイギリス人同士が話すと、その瞬間に相手がどの階級区分なのか、お互いに判断する」。これと同じことは、映画 "My Fair Lady" のセリフの中にも出てきます: "An Englishman's way of speaking absolutely classifies him / The moment he talks he makes some other Englishman despise him." これがいいことなのかどうかは判断しかねますが、日本では見られない現象であり、私にとっては、イギリス英語に惹かれる理由の一つでもあります。

 

「Transatlantic アクセント」

続いて、他のメンバーから「イギリスの歌手・バンドは、何故、アメリカ発音で歌うのか?」という質問が出ました。これは確かにその通りで、面白い現象と思います。Shanti もはっきりとした理由はわからない、と言っていましたが、幾つかの歌手やバンドの YouTube をシェアしながら、具体例を見ていきました。その中でバンド「オアシス Oasis」も取り上げられました。彼らの日常会話はマンチェスター・アクセントなのに対し、歌では Transatlantic アクセント (イギリス英語とアメリカ発音が混じりあったアクセント) で歌っており、これは多分、意図してそうしているのではなく、無意識にそうなるのではないか、と言っていました。(余談ですが、この Oasis の "Don't Look Back In Anger" は、1996年のイギリスの名TV連続ドラマ " Our Friends in the North" のファイナルシーンにて、若きダニエル・クレイグが演じる印象的なシーンと共に流れ、大変印象に残っています。)

 

「Vocal fry」

最後に、歌手の話題から、最近の女性ボーカルでよく聞かれる、語尾をかすれ声で話す vocal fry 現象 に話が発展しました。私は知らなかったのですが、SSB においても vocal fry を効果的に使うことによって、assuredness (自信・確実性) を加味することができる、とのことです。これは、vocal fry が醸し出す relaxed, laid-back (くつろいだ) な語感によるものらしいです。ということで、さっそくメンバーが順番に、"My dog stepped on a bee." という文 (何故だ?) の単語 bee を vocal fry で発声する練習に入りました。興味深かったのは、私を含めた日本人・中国人メンバーの vocal fry の出来は今一だったのに対し (Shanti からは冗談として「もう一生、vocal fry はしなくてよろしい」との判定をもらいました)、ウクライナ人とロシア人の女性メンバーの vocal fry は、実に魅力的というか、味がある、というか、聞いていて大変心地よく聞こえたことです。これは偶然なのか、母語が印欧言語であることなのか、あるいは声帯の構造が少し違うことによるのか、はっきりしたことはわかりませんが、何か理由があるのかもしれません。ということで、この日の PC は、いろいろ学んだ点が多々あり、とても面白かったです。

 

続いて、今日の ET ですが、冒頭で Jane より以下の指示がありました:前日の 1. rhythmic stress (強めのビート、かつ、ピッチの変化が聞こえる音節) に印をつけ、2. 核音節に下線を引くこと、に加え、3. その核音調は何かを示しなさい、が加わりました。このようにして、だんだんと完成形に近づいていきます。

 

また、今日の ET での学びの一つとしては、今回のディクテーションに出てきた、動詞 aim の三人称単数である aims /ˈeɪmz/ の s の発音が、何故 /s/ ではなく /z/ になるのか、を説明する理論のことを morphophonemics 「形態音素論」と呼ぶ、ということです。勉強しなければならない項目がまた一つ増えました。

 

8月18日(金) 最終日

いよいよ今年の VSCEP も最終日となりました。例年、最終日のスケジュールは少し変則的になっており、今年は次の通りでした:

 

19:30 - 20:10 講義: Connected Speech Processes, by Luke Nicholson

20:20 - 21:20 Practical Class

22:40 - 23:20 Ear Training

23:30 - 24:20 Q&A Session

 

Practical Class

今日の PC も講義関係の質問を募ることから始まり、MLE (Multicultural London English) についての質問がメンバーからありました。MLE とは、コリンズ辞書の定義によれば " a London dialect of English, characterized by Caribbean and South Asian inflections, and frequent use of slang" です。Shanti によると、MLE は徐々に一般的になってきており、人々の間に浸透しつつある、とのことでした。MLE の特徴は色々ありますが、代表的なのものとして次の4点の説明がありました:

 

1. L- vocalization (L の母音化): 語尾の暗いLが後舌母音に置き換わる現象で、pull だと /pʊl/ が /pu:/ のような発音になる現象です。

 

2. T-glottalisation (/t/の声門閉鎖音化): /t/ を破裂音ではなく、声門を緊張させることで作り出す発声方法です。Shanti も普通に don't, but, cat などは、この方法で発音することが殆ど、と言っていました。Shanti によると、このことで "This makes me one degree less posh." との結果になっている、と冗談めかして言っていました。

 

3. Monophthongization (単母音化): 二重母音を単母音的に発音する現象で、MLE の場合だと、/aɪ/ が /æ:/ のようになり、price  /praɪs/ が /præ:s/、nice, fine, like はそれぞれ /næ:s/ /fæ:n/ /læ:k/ のような発音になるそうです。

 

4. Uvular consonant (口蓋垂子音): /k, g/ の後が後舌母音の場合などに、/k/ は [q]、/g/ は [G] のように後舌と口蓋垂の間で閉鎖をつくる音に変化する現象です。/k/ なら car, call, culture, dark, talk など、/g/ だと god, dog, guard といった単語の /k/ と /g/ を口蓋垂を使い発音するわけです。何となくアラビア語っぽくなる感じがします。

 

Shanti によれば、上記の内、1と2は SSB においても、"absolutely, completely normal" になりつつある、とのことですが、3と4は、まだ全く一般的ではない、とのことです。私の場合、1と2ですら MLE 風に発音するのはかなり抵抗がありますが、言葉の進化とは面白いものだと思います。

 

さて、PC の時間も終わりに近づき、他のメンバーからの質問もなさそうだったので、音声学とは関係ないのですが、以前から不思議に思っていた質問をしてみました。英語圏では、普段、親が子供を呼ぶ際は pet name という愛称を使うのですが、子供を本気で叱る場合は、姓を含めたフルネームを使うのは何故か、ということです。因みに pet name の定義は、Oxford 辞書だと "a name that is used instead of someone's usual first name to express fondness or familiarity" とあります。例えば、子供の正式名が Ronald であれば Roni や Ronnie になるといった具合です。

 

Shanti からの答えは、はっきりとしたことは不明だが、日常生活では、親近感や愛情を感じさせる pet name を使うので、それが急に改まった正式名で呼ばれると、厳しく、冷たい響きがあり、真剣さが増すためだろう、とのことでした。そして、もしその子供にミドルネームがあるなら、ミドルネールを含んだフルネームを使うと、さらに効果が増すとのことです。試しに ChatGPT に「家で静かにしない子供を、母親がフルネームで叱る」という設定でスキットを書いてもらいました:

 

Mother: (Stern) Ronald! How many times have I told you to keep quiet?

 

(Ronald ignores her and continues to make noise.)

(His mother, now frustrated, enters the living room.)

 

Mother: (Angry) Ronald James Johnson, you stop that right now!

 

(Ronald finally stops, surprised by the use of his full name.)

 

Ronald: (Apologetic) I'm sorry, Mom.

 

なかなか臨場感があるスキットです。(それにしても ChatGPT は本当に凄いと思います。日本の英語教育にも大きな影響を与えるに違いありません。自分のこの仕事も、将来的に存続できるか、かなり怪しくなってきました。)

 

Ear Training

Jane による ET も今日で最終回となってしまいました。講義と異なり、ET はその内容が毎年異なるので、大変勉強になります。今日のディクテーションの指示としては、1. 核音節に下線を引くこと、2. 核音調の種類を示すこと、に加え、3. 前核部のパターンを示すこと、が加わりました。前核部の種類として、high head, low head, rising head, falling head, stepping head の5つが候補として挙げられました。因みに Jane のお気に入りの Head パターンは stepping head だそうです。

 

さて、このような発音記号でのディクテーションは、国際音声学会 (International Phonetic Association) が主催する IPA Examination for the Certificate of Proficiency in the Phonetics of English (IPA音声学技能試験) でも必須の出題項目だったのですが、何とこのIPA音声学技能試験が廃止される決定がなされていました。学会のページを見ると、2015年から本試験の受験者数の減少が報告されており、2019年には本試験の将来性を懸念するレポートが出されています。115年間続いたこの試験が廃止された背景としては、この試験を受けなくても、学部・大学院レベルにて音声学の知識を習得することが十分に可能になったことがあるようです。

 

実は、私がこの試験の存在を最初に知ったのは、久保岳夫さんのブログや twitter においてでした (IPA 試験のみならず、この VSCEP のことや、イギリス英語のイントネーション体系の存在を知ったのも、久保さんのブログや twitter によってでした。有益な情報・知識の共有に感謝しています)。久保さんご自身も合格されていますが、他にも私が知っている限りで今井邦彦牧野武彦、木村琢也といった音声学者の方々も保有されている資格です (木村氏の合格証書)。誠におこがましいのですが、私もいつかは挑戦してみたいと思っていた試験だったので、やや気抜けした感じがしています。

 

Q&A Session

今年の VSCEP の締めくくりは、参加者から事前に募っていた質問を、講師から成るパネルが答える恒例の Q&A コーナーです。司会は例年と同じく Josette Lesser さん(因みに彼女は UCL の言語学部を第一級優等学位 "a First Class Honours Degree" で卒業されています。)で、パネルメンバーは Geoff, Jane, Joanna, Luke の4名です。Q&A セッションは第1部「発音・イントネーション関連」、第2部 「その他」に分けられました。

 

質問は事前にアプリに投稿する形で行われ、全部で約50個の質問が寄せられていました。当日のセッションでは、第1部では13個の質問が、第2部では3つの質問が、計16個の質問が取り上げられました。私は9つ質問しましたが、内3個が Q&A で取り上げられ、あと1つは PC 内にて、もう2つは後日 Face Book 上で Q&A セッションでは取り上げられなかった質問の幾つかを扱う、言わば、Q&A の延長コーナーにて取り上げられたので、結果的に約7割の質問に対して回答が得られた訳で、満足の行く結果となりました。

 

Q&A セッションで取り上げられた私の質問:

質問1: 私は自分のレッスンでイントネーションを教える際に、“Intonation of colloquial English, J.D. O'Connor & Arnold" 日本語版あり)という本も使っているのですが、出版年が1973年と、いささか古く、かつ、いまではやや古風に響くイントネーションパターンも含まれているため、これを使うことで時代遅れのイントネーションを教えることにならないか、やや危惧していたので、その点を尋ねてみました。これに対して Jane と Geoff からそれぞれコメントがあり、その古風なイントネーションパターンも含め、この本にある10パターンを、コンテクストに合わせて使いこなせるレベルに達することができるなら、現代のイントネーションも判別できるようになっているはずで、結果的にそれを現代風のイントネーションにアレンジすることもできるであろうから、質問にあった心配をするには及ばない、といった趣旨の回答をもらえました。2人の著名な音声学者からお墨付きを得られたわけで、これで安心してこの古典的名著をレッスンで使い続けることができます。

 

質問2: pill, till, kill といった単語では、語頭の破裂音 /p, t, k/ には強い帯気音が生じますが、語頭に /s/ がある spill, still, skill では、これらの帯気音は消して発音されるのは何故か、という質問です。これに対しては、/s/ という音素は、英語では非常に強い摩擦音であり、呼気のエネルギーがこの発音で消費されることが影響しているのではないか、という趣旨の回答がありました。また、Geoff から補足として、英語の子音には fortis 硬音 - lenis 軟音という対立概念があり、エネルギーが強く、発音される時間も長くなり、結果的に呼気も消費される fortis 子音を意識することは、英語において大変重要であり、子音が「無声音 or 有声音」かは二義的な問題であり、より重要なのは「fortis or lenis 」の違いである、と強調していたのが印象に残りました。

 

質問3: イギリスの上流階級が話す RP アクセントを形容する際に "cut-glass" と "plummy" という言葉がしばしば用いられるのは何故か、という質問です。コメントは Luke, Joanna, Geoff から、それぞれあったのですが、意外というか、面白いなと感じたのは、その由来ははっきりしていない、という回答です。共通していたのは、恐らくこれらの言葉が連想させるイメージの為だろう、という点です。Cut-glass については「カットグラスの、高級感があり、人口的に、あるいは精緻に磨き上げられたイメージ」が RP アクセントを連想させ、plummy (plum は西洋スモモ・プラム) については、RP は喉頭・喉仏を下げて発音される傾向があり、この時に生じる口の中の空間が、ちょうどプラムを口に含んだ時にできる空間と同様だからという説や、プラムを口にいれた状態で話すと、もごもごとした不明瞭な発声になり、これが王侯貴族が話す RP を連想させるからという説もある、という回答でした。Cut-glass と plummy という対照的な形容詞が RP に対して使われるのは、興味深いと思います。 

 

さて、VSCEP が終了した後も、8月末までは Face Book にて、残りの質問の幾つかに対して、パネルメンバーからコメントが寄せられたのですが、ここで取り上げられた私の質問は次の2つです:

 

質問1: ネイティブスピーカーが /b/ と /v/ を聞き違うことはあるのか、という質問です。この質問は、イギリスのシットコム "Blackadder" にて、登場人物の一人が /b/ と /v/ を混同しているようにも思われるシーンを見たことがきっかけでした。

 

質問2: イギリス英語のイントネーション参考書に関する質問で、上記でも触れた “Intonation of colloquial English, J.D. O'Connor & Arnold, 1973年" と、これも名著である "English Intonation, Wells, 2006年" (日本語版あり)が出版されて以来、英語学習者向けのイギリス英語イントネーションのメジャーな参考書が出版されていないのは何故か、という質問です。この質問は、実は以前、音声学者でいらっしゃる牧野武彦先生が、確かご自身の Twitter で同趣旨のことをつぶやいていたのを拝見して以来、ずっと気になっていたことを改めて尋ねてみたものです。コメントの中で Jane が 「もし Geoff がイントネーション本を出す気になれば、その時は私も参加します」というくだりがあるのですが、是非、是非、実現して頂きたいと思います。この Face Book では、他にも VSCEP 参加者からの興味深い質問が、いろいろと取り上げられています。

 

振り返ってみて

VSCEP が今年も開催されると聞いて、一瞬、参加するかどうか迷いましたが、結果的には今年も参加して大正解でした。冒頭にも記しましたが、来年は Virtual ではなく、本来の2週間の実地型に戻る予定とのことなので、VSCEP は今年が最終回となるかもしれません。自宅に居ながら、Zoom 回線を通じて、地球の裏側のロンドンで開催される VSCEP にリアルタイムで参加することができ、IT技術の恩恵をフルに享受できました。さて、今後ですが、インフレと円安が原因のコストアップ、そしてコロナのことも考えると、実地型の SCEP に参加することは、IPA 試験も廃止されたこともあり、多分ないのではないか、と今は考えています (以前は IPA 試験の受験者向の試験対策特別コースが SCEP に設けられていました)。

 

VSCEP で学べた事は実に多く、自分のレッスンでも実際に色々と役立っており、その意味でも3回の VSCEP に参加できて本当によかったと感じています。UCL では、来年も何らかの形で、音声学に関する夏季オンラインコースを設けることを検討している、とのことだったので、その内容に大いに期待したいと思います。

VSCEP2023
tutors

"VSCEP (Virtual SCEP), our one-week course live via Zoom, was again a great success.

Participants joined us from 22 countries across Europe, Asia and the Americas, for lectures, practical classes and ear training.

 

WE HOPE TO RESUME SCEP IN ITS TRADITIONAL FORMAT, AS A TWO-WEEK COURSE IN LONDON, IN 2024." ー VSCEP HP より