2022年 ロンドン大学・英語音声学夏期講座に参加して

8月8日(月)から始まった オンライン版の2022年 ロンドン大学・英語音声学夏期講座(VSCEP: Virtual Summer Course in English Phonetics) が終わりました。昨年同様、大変有益な内容でした。今回も備忘録として簡単に内容を記しておくことにします。

 

8月8日(月)初日

今年の参加者数は70名弱で、そのうち日本人は約20名と約3割を占めていました。昨年と比べると全体で約3割減の参加者でしたが、世界的な不景気などが影響しているのでしょうか。

 

今年も昨年同様、専門家による小人数(4~5名)での実践指導を行う為の Practical class が設けられました。参加国の時差を考慮したのであろう ① 21:15 開始グループと、② 23:15 開始グループの2グループにまず分けられ、さらに下記のような参加者の属性や英語力などを考慮に入れた 7グループが設けられました。私は①の EFL (English as a Foreign Language) 教師グループに割り当てられました。

 

・Teachers of English as a foreign language(EFL教師など)

・Undergraduate students of English(学部学生など)

・University academics and postgraduates(音声学専攻の教員・院生など)

 

私のグループのメンバーは、全員英語を何らかの形で教えている教師・講師で、国籍は中国が2名、アルゼンチン1名、日本2名の計5名でした。担当tutorは、10年以上のイギリス英語発音コーチの経験がある Luke Nicolson 氏です。なお、氏は難関であることで知られているInternational Phonetic Association (IPA) Certificate の合格者とのことでした。

 

 8日(月)~12日(金)の時間割(日本時間)

19:30 - 20:10  Lecture 1 (Segments)

20:20 - 21:00  Lecture 2 (Intonation)

21:10 - 22-10  Practical class ①

22:20 - 23:05  Ear-training

23:15 - 24:15  Practical class  ②

 

本日の講義:

Lecture 1: Introduction and Consonants 1, by Geoff Lindsey

Lecture 2: Tonicity and the Nucleus, by Kate Scott

 

期間を通じて、Lecture1 とLecture2の講義内容は、事前配布されたテキスト(A4版84ページ)同様、ほぼ昨年と同じ内容でした。従って講義は私にとって、昨年の復習を兼ねる内容になった訳ですが、これはある意味、自分の発音レッスンに必要な最低限の音声学知識に関しては、ほぼ漏れを無くすことができたのではないか、という自信につながった気がします。

 

次に Practical class ですが、まずは各メンバーの自己紹介から始まりました。この最中、発音コーチであるLukeはそれぞれの発音で気になる点をチェックしてくれていました。さて、メンバーは皆さんそれぞれ長い英語指導の経験をお持ちのベテランの方々で、当然のごとく流暢な英語を操れる方々です。皆さん錚々たる経歴・経験をお持ちでした。

 

中国人Aさんは、イギリス留学経験をお持ちの広東語・普通語のバイリンガルで、British Council で数十年間、英語を教えており、CELTAとDELTAも保有とのこと。やや広東語訛りがある実に典雅なイギリス発音でお話しになる方でした。

中国人Bさんは、イギリスでイギリス人を対象に中国語を数十年間、教えている方でした。

アルゼンチン人Cさんは、主に子供~若年層へ英語を20年以上教えている方で、スペイン語訛りの英語を朗々と話す方でした。

日本人Dさんは、Oxbridge での留学経験をお持ちで、大学で言語学と英語を教えていらっしゃる方でした。

 

皆さん、様々な経歴をお持ちですが、今回のVSCEPを通じて改めて感じたことは、英語の場合、日本語と違って基本的に、相手との社会的距離感をあまり意識せずに、講師・メンバー間でも "You" と "I" を使って自由に議論が出来ることです。純粋に話の内容に集中できて、何というか、軛から解放される思いがしました。

 

自己紹介に続いてLukeから、30秒で口腔の断面図を書いてみて下さい、との指示がありました。恐らく音声学の最低限知識の有無を確認する目的だったのでしょう。続いて、今日の講義内容であった子音についての Q&Aや個別指導が行われました。ここでの収穫は、参考書に書かれていた、最近、イギリス南東部の若者の間で話されることが増えているらしい唇歯接近音(下唇と上歯が接近することで作られる音)の/r/(正確には[ʋ])の実際の生の音をLukeが実演してくれたことです。何とも妙な/v/に似た音で、これが本当に/r/の一種?と思うような音でした。

 

面白かったのは、イントネーションの演習の時に、メンバーが各自の姓名の姓をHigh-fall(下降調)でいう練習をした時に、中国人のメンバーから「自分の姓は、四声の関係で下降調だと意味が変わってしまい何か変だ」との発言から議論が始まったことでした。結論としては話者の主観に任せる、ということになりました。

 

最後に宿題として、強制ではないが各自、テーマは何でもいいので3~5分のスピーチを準備して下さいとの話がありました。それぞれ発音で何か特徴的なことが聞けるかもしれないので、もしあればそれについて話し合おう、との趣旨でした。とても面白そうな試みだな、と思うと同時に、大変そうで気が少し重たくなったのも事実です。

 

本日最後の講義である Ear-training の担当講師は、昨年と同じ Reading 大学の Jane Setter 教授でした。まず、自己紹介かたがた、ご自身が編集者として関わり最近出版された書籍  "The Cambridge Handbook of Phonetics" の紹介がありました。講義はまず、それ自身は何の意味もない音の羅列である Non-sense words を発音記号で書きとるディクテーションから始まりました。7つの Non-sense words がそれぞれ6回ずつ読み上げられました。全て去年とは違う内容でした。例としては /ʌŋˈgwɔ:bz/ といったものです。

 

次に Broad Phonetic Transcription が始まりました。これは8~10行から成り立つ短い英文を発音記号を用いて書きとる、という内容です。まず最初に全体を通して1回、続いて各行が約15秒間隔で6回ずつ読み上げられ、最後に1回全体が読み上げられました。そして最後に解説を交えながらの答合わせが行われました。

 

今日の文章は以下のようなものでした。発音記号に加え、今日の Lecture2 で習ったイントネーションのストレス記号も書き加えるように、との指示がありました。

 

I’ve learned a lot about insects recently

after following a link

to the Wikipedia page

on wings and wingcases.

Did you know, for example,

that grasshoppers, crickets and cockroaches

have modified leathery front wings

to protect the hind wings when folded? 

 

一行目の insects ですが、子音が /kts/ と3連続する際は、真ん中の子音 /t/ が脱落する現象が生じるために、正解は /ˈɪnseks/ ということになります。残念ながら私は頭の中にあるスペルに引きずられてしまい、 /t/ が聞こえたように思えました。また二行目の following ですが、Jane は自分で発音している時にリンキング /w/ を感じたので /ˈfɒləʊwɪŋ/ としたが、/w/ がない答でも問題はない、とのコメントがありました。こういった生の読み上げならではの、微妙な点についてのコメントが大変興味深かったです。難しいかったのは6行目の "that grasshoppers" で、that と grass の間で同化現象が起こるため、正解は /ðət ˈgrɑ:s-/ ではなく、/ðək ˈgrɑ:s-/ とされたことです。ここは引っかかってしまいました。

イントネーション解説例

 

 

 

 

 

 

 

 

Ear-training 講義での発音記号を使ったディクテーション

https://twitter.com/UCLSCEP より

8月9日(火)2日目

本日の講義:

Lecture 1: Consonants 2, by Luke Nicholson

Lecture 2: Nuclear Tones, by Geoff Lindsey

 

今日の Practical class は、Kahoot というスマホのアプリを使っての、口腔の横断面の調音部の動きを示すアニメーション動画から、その音素名を当ててみよう、というクイズから始まりました。回答時間は20秒で、回答が速ければ速いほど点数がよくなるというもので、10個ほどやりました。最初は戸惑いましたが、徐々に要領が掴めてきたかな、と思ったところで終わりとなりました。年齢による反射神経の衰えを感じさせられました(泣)。

 

あとは講義で扱った様々な核ピッチパターンや、各自が苦手とする音素の練習を繰り返し行いました。イントネーションパターンのトレーニング方法についても、色々とヒントを得ることができました。最後に、前日の宿題であった3分間スピーチの発表となりました。この目的は、これは決して発音の欠点を見つけることではなく、"interesting points"、例えば schwa を使う代わりに成節子音を使っていた、などがあればそれについて話し合ってみよう、ということです。

 

他のメンバーは期間を通じて多忙ということで、発表したのは結局、この日に発表した私だけでした。ただ、苦労して準備した甲斐があり、Lukeが気付いた点を10分以上にわたって色々と分析・講評してくれました。これは今回のVSCEPで得ることができた最大の収穫となりました。音声学の研究者というよりは、プロの発音コーチであるLukeからのコメントは大変貴重なものでした。今まで気付いていなかった特定の音素の発音についてのアドバイスにもハッとさせられましたが、むしろ全体の呼吸・発声方法に関連したサジェスチョンがあり、これは自分自身の今後の課題となりました。

 

今日の Ear-training は10行の文章で、講義で説明のあった核音節の明示が加わりました。今日も間違えやすかったのは同化でした。get married  /gep mærɪd/, won't be /wəʊmp bi/, current marriage  /kʌrəmp mærɪʤ/ など。あとは脱落で、want to /wɒnt tə/ に対して、find that /faɪn ðət/ であることなど。 

 

それにしてもJaneの発音は非常に明瞭で、Zoomのクリアな回線とも相俟って、講義期間を通じて Ear-training には最適な環境を提供してくれました。耳元のスピーカーから流れてくる臨場感あふれる音声は、ひょっとしたら実地型のSCEPよりも Ear-training には向いているのかもしれないな、とも思いました。

イントネーションの核音調
イントネーションの核音調2

 

 

 

 

 

 

 

 

Lecture 2 で学んだ「核」音調

https://twitter.com/UCLSCEP より

8月10日(水)3日目

本日の講義:

Lecture 1: Vowels 1: Qualities and contrasts, by Geoff Lindsey

Lecture 2: Prenuclear patterns, by Jane Setter

 

今日の Practical class は、まず各メンバーが個別にLukeにメールで尋ねた質問の回答から始まりました。この中で興味深かったのは /ʌ/ と /ə/ の音色の差についての解説でした。私もレッスンで /ʌ/ の説明をする際に、どの程度まで微妙な音色の差を意識すべきなのか、の判断に迷うことがあったのですが、LukeはGeoffが最近アップしたYoutube 動画 "America, we need to talk about STRUT ʌ and schwa ə" に言及しながら、あまり心配する必要はなく /ə/ で発音しても基本的に問題ない、との意見でした。なお、GeoffはVSCEP終了後に新しい動画 ”Around the world with /ʌ/ and /ə/ in EIGHT MINUTES!” をアップしています。これによると、RPを話すとされるイギリス南東部では above /ə'bʌv/ のように音色の差はあるが、それ以外の地域では原則ない、との説明をしています。

シュワーの発音

 

 

 

 

 

 

 

イラスト by Geoff Lindsey

Ear-training は今日も10行からなる文章のディクテーションで、核の場所とその音調パターンを確認しながらの解説でした。流石だなと感じたのは、world suffering  /wɜːl ˈsʌfrɪŋ/ という箇所で、「6回の音読で、それぞれ1回は /wɜːld/ と /ˈsʌfərɪŋ/ と言ったので、どちらのパターンでも可とします」とJaneが言ったことです。/d/ と /ə/ を発音したか、しなかったか、をそれぞれ確認しながら読んでいるということがわかりました。

 

金曜日のVSCEP最終講義は、参加者から募った質問に講師たちが答えてくれる「Q&Aセッション」なのですが、取り上げて欲しい質問は事前に専用アプリに投稿しておく必要があります。その締め切りが今日だったので、私も日頃から書き留めていた質問の中から8個ほど投稿しておきました。この「Q&A」は、自分では気づかなった、又は知らなかった事柄についての疑問が、専門家たちによって解説されるので、非常に勉強になる貴重な機会です。自分の質問が取り上げられるのか否か、ややドキドキしながら待つわけですが、何か、ラジオDJに送ったリクエストが取り上げられるかどうか、に似た気分です。

8月11日(木)4日目

Lecture 1: Vowels 2: How vowels behave, by Joanna Przedlacka

Lecture 2: Making and hearing whole tunes, by Jane Setter

 

今日の Practical class も、各メンバーからの様々な質問から始まりました。講義最終日にある Q&A セッションとは違って、今日の前半の講義内容で不明だった点や、ふと思い出した疑問点などを気軽に質問できるというのが、 Practical class の良い点です。なるほどと思ったのは、pre-fortis clipping (硬音前短縮)の解説をしている際に cot - cod という例を使っていたのですが、Lukeが「日本人Dさんと Takuya の /k/ の発音は(決して間違いではないが)自分のとは異なっているが、どう違うか気付いた人はいる?」との質問です。Lukeによれば、Lukeの /k/ は母音 /ɒ/ に影響で軟口蓋の後ろ寄りが調音点なのに対し、日本人2人の /k/ はより前寄りで発音されている、とのことでした。確かに言われた通りで、ロンドンではさらに後ろよりの口蓋垂あたりを調音部とした /k/ もよく聞かれるということで実演してくれました。

 

今日の Ear-training は昨日と同様、10行から成る文章のディクテーションでした。油断すると引っ掛かかり易いのは、同化 assimilation で、more and more /mɔːr əm mɔː/ であるとか、one parent /wʌm pɜ:rənt/ でした。

intonation2
英語のイントネーション表記

 

 

 

 

 

 

 

Lecture 2 で学んだイントネーション表示

https://twitter.com/UCLSCEP より

8月12日(金)最終日

VSCEP最終日である今日のスケジュールは下記の通りです。Q&Aセッションがあるため、やや変則的になっています。去年は最終日に Ear-training はなかったので、ありがたいと思いました。

 

19:30 - 20:10 Lecture: Features of connected speech, by Luke Nicholson

20:20 - 21:20 Practical class ①グループ

21:30 - 22:30 Practical class ②グループ

22:40 - 23:20 Ear-training

23:30 - 24:30 Q&A

 

最終回の Practical class ですが、メンバーからの様々な質問に答えることに半分ほど費やされました。面白かった質問は「イントネーションはどうやって、またどの程度まで教えるべきなのか」「イントネーションの様々なパターンを暗記させるべきなのか」という問いです。これは私も日頃から念頭にあった項目だったので注目しました。Luke個人の意見としては、言語によってイントネーション体系が異なるということを理解することはとても大切だが、端的に言ってイントネーションについては、付加疑問文などイントネーションによって意味が異なるケースを除き、"It doesn't matter, people will understand you," "Not important in terms of intelligibility" ということでした。要するにイントネーションの細かい点にあまり拘泥する必要はないであろう、ということです。後半は現代英語の母音の変遷についての講義の補足と、練習を行いました。

 

毎日楽しみにしていた Ear-training も今回で最後です。今日は珍しくJaneは文章を読み上げる途中で何回か、つまづいていました。もしかしたら、この夏イギリスを襲った記録的な熱波のせいで疲れが溜まっていたのかもしれません。発音記号でのディクテーションを経験できる機会は滅多にないので、大変勉強になります。自習用のテキストとして、Janeは以下の2点を挙げていました。

British English Phonetic Transcription(音声あり)

English Transcription Course (音声なし)

 

VSCEPの最終講義であるQ&Aが始まる前に、Zoom画面での全体記念撮影がありました。

 

VSCEPを締めくくるQ&Aセッションは、第1部:イントネーション、第2部:発音、第3部:その他一般、に分けられそれぞれ8個、8個、3個、計19個の質問が取り上げられました。回答する講師は、Geoff, Jane, Kate, Luke です。事前に投稿された質問数は40個前後でした。私が投稿していた8個の質問は、うち4個が取り上げられたので、まあ良かったと思います。これらは:

 

・High Fall には2つの読み方があるが、その違いは何か?

・語尾 schwa の開口度が大きい理由

・on に弱形がない理由

・/s/ の2種類の舌先の位置について

 

でしたが、それぞれについて納得のいく答えを得ることができました。信頼のおける専門家たちに質問をして、その回答をもらえる Q&AセッションもVSCEPの大きな魅力の一つです。なお、時間内に取り上げられなかった質問は、フェイスブックに順次掲載されていますが、これらへの回答が掲載されるかは不明です。

Q&Aセッション

 

 

 

 

 

 

 

 

https://twitter.com/UCLSCEP より

振り返ってみて

去年に引き続き、Zoom経由で自宅に居ながらにして、ロンドンで開催された本講座に参加できたことは実に幸運でした。講師たちの口調からして、オンライン方式のVSCEPはあくまでも、コロナ下でのイレギュラー方式であり、あくまでも対面方式が本来である、という感じが伝わってきたので、イギリスでは既にコロナ関連では社会はほぼ正常化していることを考えると、Zoomで参加できるVSCEPも今年で最後かもしれない、という気がしています。もっともSCEPの受講生数でそれなりの割合を占めているであろう中国の状況が変わらなければ、来年もVSECPかもしれません。

 

VSCEPの感想ですが、これほどの水準の講義を、1時間あたり約3千円で受講することができ、費用対効果がとても高かった、と感じています。昨年同様、講義方式のレクチャーと、少人数の実践クラスである Practical class のバランスが良くとれており、特に今年は自分が属する Practical class の人数が5人と少なかったこともあり、質問の機会を沢山得られたことや、マンツーマンレッスンに近い、質の高いフィードバックを講師から多く得ることができ、満足度は大変高かったです。

 

さて来年、本来のロンドンでのSCEPに戻った場合、参加するかどうかですが、円安・コロナへの不安・高騰している旅費・体力(泣)等を考えると、正直、躊躇してしまいます。このことを考えてみても、オンライン方式のVSCEPに2回参加できて良かったと感じています。

VSCEPの修了証
VSCEPの講師たち

講師たち:左から、Jane, Joanna, Geoff, Kate, Luke