ロンドン大学・英語音声学夏期講座に参加して

8月16日(月)~ 8月20日(金)にかけてオンラインの Zoom 上で開催されたロンドン大学の英語音声学夏期講座が無事に終了しました。あっという間の5日間でしたが、事前に想像していた以上の収穫がありました。記憶が曖昧になる前に簡単に5日間のメモを残しておきたいと思います。

 

今はコロナ禍の真っ只中ですが、私にとってこの講座に参加できたのは、コロナによってもたらされた唯一の良い出来事といっても良いかもしれません。例年ならば、受講料750ポンド(約10万円)、宿泊費645ポンド(約10万円)、航空券代(10 - 20万円程度)等、計40万円近い費用が必要なところ、今回は期間は半分の5日間(例年は10日間)になったとはいえ、早期申込みならば受講料は 299ポンド(約5万円)で済みました。

 

一方、今回のデメリットとしては、授業数が例年の52時間(2010年のデータです。以降年度は確証ありません)に比べると、7割減の15時間しか確保されていなかったことです。オンライン形式の初回トライアルということで仕方ないかもしれません。オンライン形式ではなかった前回2019年の申し込み書類は下記の通りで(PCでないとよく見えません)、2021年(こちらのリンクの下段)と比べると随分と細かく自分の属性を申告させる形です。それだけ2021年のオンライン版は簡略化されていたと言えます。ただ1時間当りのコストを考えると、例年パターンは約6千円なのに対し今年は約3千円と約半額になり、オンライン型式のメリットを享受できたと言えます。

8月16日(月)初日

今年の参加者数は100 - 110名で、そのうち日本人は約20名でした。また下記時間割の3つ目にある、小人数(6~8名)での指導を行う為の Practical class が18グループ設けられ、私は第2グループでした。Practical class は、

・Teachers of English as a foreign language

・Undergraduate students of English

・University academics and postgraduates

といった各々の属性によって分けられます。第2グループのメンバーは、全員発音を何らかの形で教えている教師・講師で、国籍は中国(含、香港)が5名、ロシア1名、コスタリカ1名、日本1名の計8名でした。Practical class 担当の tutor は、音声学専攻の Shanti Ulfsbjorninn 教授(読み方:ウルフスビョーネン)でした。

 

16日(月)~19日(木)の時間割(日本時間)

19:30-20:10 Lecture 1 (Segments)

20:15-20:55 Lecture 2 (Intonation)

21:00-22-00 Practical class for Groups 1-6

22:05-22:45 Ear-training

22:50-23:50 Practical class for Groups 7-12

23:55-24:55 Practical class for Groups 13-18

 

16日(月)の内容

Lecture 1: Introdution and Consonants 1, by Geoff Lindsey

Lecture 2: Tonicity and the Nucleus, by Kate Scott

 

Practical class: 最初に講師から「このグループは全員が教師・講師なので more advanced な内容を扱います」という説明があり、その通り、5日間を通じて興味深い講義と実践が続くことになります。グループ全員が教師・講師ということもあり、音声学の基本は押さえているという前提で授業は進められました。専門用語が飛び交う内容だったので、事前に課題図書を通読しておいて良かったと思いました。また、Advanced class ということもあり、講師の英語に手加減は一切なく、早口英語のシャワーを浴びる5日間でした。他のグループには、現役の大学教授や音声学専攻の学生が受講メンバーのものもあったので、そちらは更に高度な内容が扱われる内容なのだと思います。なお、中国人メンバーは1人を除くと、皆、訛りのない極めて美しい発音で自在に英語を話すことができ、中国という国の人材の厚みをここでも印象づけられました。今日のレッスン内容:破裂音の帯気の程度、声門閉鎖音を使う場面、有声音の一部を無声音にする練習、/s/ に必要な高い周波数など。

 

Ear-training: by Jane Setter 

これは、講師が読み上げるフレーズあるいは文章を聞き取り、それを発音記号 (IPA) で書きとるという内容です。同じ内容が6回繰り返して読まれます。今日の前半は、英語にはない "English nonsense words" を書きとる内容でした。例えば /ˈʤɑːkɒm/, /ˈspliːdɪd/, /ʌŋˈkwɜːʃ/ といったものです。後半は、普通の英文が読み上げられ、それをIPAで書きとるという内容でした。受講生のIPAの理解度を確認することなく、いきなりディクテーションが始まったので、事前にIPAをしっかりと理解していないと講義についていくのは無理だな、と思いました。今回、私にとって勉強になったのは、様々な同化 assimilation を聞き取り、それをきちんとIPAで表現する感覚が養われたことです。

 

最後に答合わせと、質疑応答があり「自分にはこのように聞こえたのですが正しいでしょうか?」「いいえ、私は正確にはそのようには発音しませんでしたが、この場合はこの様な理由に基づき、そのパターンでも許容範囲とします」というようなやり取りが活発に交わされました。質問は、Zoom の挙手ボタンを通じて行われたのですが、私が質問を考えている間に、アルゼンチン(多分)や中国の受講生たちが間髪入れずに挙手ボタンを次々と押して貪欲に質問していたのが凄いと思いました。

8月17日(火)第2日

Lecture 1: Consonants 2, English consonant overview, by Luke Nicholson

Lecture 2: Nuclear tones, by Geoff Lindsey

 

Practical class: 直前の第2レクチャーを受けての、核音節の様々なパターン練習:high-fall, low-fall, high-rise, low-rise, fall-rise, rise-fall など。講師の肉声のイントネーションパターンを聞きながら、声のピッチと速度を次々と変えながら練習できたのがとても良かったです。また、幅広いピッチが英語には欠かせないことが力説され、我々も何回もこれを練習させられました。"More range!" と私も度々注意されました。

 

Ear-training: by Jane Setter 

今回のディクテーション文です。一行それぞれ6回づつ読まれました。

 

African elephants can be found

roaming the forests and grasslands

of 37 countries across the continent. 

These sentient and intelligent animals

have recently been declared endangered.

For the remaining elephants to find each other

they make a variety of noises

some of which are very low-pitched

and travel through the ground

as well as the air.

 

2行目の "grasslands" は普通ならば /ˈɡrɑːsləndz/ ですが、今回は /d/ elision (子音が3つ連続する場合、真ん中の /d/ 発音が省かれる現象)のために正解は /ˈɡrɑːslənz/ でした。私には /-ndz/ と聞こえたので(字面に惑わされた為でしょう)挙手しましたが、残念ながら当てられませんでした。当てられた場合は、「これらの2種類の発音をしてみて下さい」などのリクエストや質問を Jane Setter 教授ケンブリッジ発音辞典の共同編集者でもあります) といった音声学の専門家に直接できるのも本講座の大きな特徴だと思います。

8月18日(水)第3日

Lecture 1: Vowels 1: Qualities and contrasts, by Geoff Lindsey

Lecture 2: Prenuclear patterns, by Jane Setter

 

Practical class: 

直前のレクチャーでカバーした pre-head と head の様々なイントネーションパターンを練習しました。

 

Ear-training: by Jane Setter 

今回も前回と同様の長さの10行から成る文章でした。私が間違えた箇所としては、for example は通常、 /fər ɪgˈzɑːmpl/ ですが、今回の読み方は for の弱形が /fr/ で読まれた /frɪgˈzɑːmpl/ という部分です。 確かにこの読み方は、よく耳にする言い方です。もう一つ、引っ掛かったのは family /ˈfæmli/ で 、/m/ の後ろに /ə/ を入れた /ˈfæməli/ と書いてしまいました。 ここは別の参加者からも質問があった箇所でしたが、受講者がよく引っ掛かる場所らしく、Setter 教授も笑いながら説明していました。これも字面に影響された「空耳」であった訳です。

8月19日(木)第4日

Lecture 1: Vowels 2: How vowels behave, by Joanna Przedlacka

後続する子音の影響で母音の長さが短くなる Clipping (Pre-fortis, rhythmic) 現象が説明されました。また、現代イギリス英語母音における調音場所の「反時計回り」現象について、本講座の生みの親とも言えるイギリスの音声学者 Daniel Jones 自身の約百年前に録音された音声や、映画「ハリーポッター」での現代英語の音声を引用しながらの考察が行われ、大変興味深いものでした。

 

Lecture 2: Making and hearing whole tunes, by Jane Setter

この三日間で学んだイントネーションの総まとめでした。国際音声学会が主催する「英語音声学技能試験」 "IPA Examination for the Certificate of Proficiency in the Phonetics of English" の一部分であるイントネーション試験をモデルにした、短文のイントネーションを説明する方法などが実演されました。

 

Practical class: 

本日の Lecture 1 を受けて、現行の IPA 表記からは、ややズレつつある現代イギリス英語発音 Standard Southern British (SSB) アクセントの二重母音と三重母音の音色についてのより深い説明と練習が行われました。具体的には、air /eə/, fire /faɪə/,  hour /aʊə/ といった単語を、それぞれ古式なRP発音と、現代風のRP発音の両方で言ってみる練習などです。私について言えば /ɜː/ と /ɛː/ 母音の正確な音色について、質問と実践を通じて理解を深められたのが大きな収穫でした。

 

Ear-training: by Jane Setter 

明日は Ear-training は行われないので、今回が最後の Ear-training です。内容は昨日と同様、下記の通り、短文10行のディクテーションでしたが、これは Jane Setter 教授が執筆した記事が基とのことです。

 

A recent survey of 2,000 adults in the UK

identified the top ten most annoying mispronunciations.

Many people pronounce “espresso”

as “expresso”, for example,

and “probably” as “probly” or “prolly”.

The first may be due to familiarity with an existing word,

and the second to do with connected speech processes.

But should you correct a person’s pronunciation?

That depends on your motivation for doing so,

as it can be perceived as linguistic prejudice.

 

今回の講習を通じて体験した Ear-training のような形式の演習は初めてだったので、得るものがとても多かったと感じています。Jane Setter 教授の非常にクリアなイギリス発音で行われたIPAディクテーションは実に貴重かつ贅沢な体験でした。今まではあまり意識することがなかった点、例えば syllabic consonant (成節子音) や、正確な分節への意識が高まったことも今回の講習の収穫の一つです。

8月20日(金)第5日 最終日

19:30-20:10 Lecture: Features of connected speech, by Luke Nicholson

 

20:15-21:15 Practical class

前レクチャーを受けて、リンキングに関連する様々な事象が取り上げられました。私も以前から疑問に思っていた点、例えば

・連接 juncture (illegal と ill eagle といった似た発音の違い)について

・bad part は同化により /bæb pɑːt/ と表記さるが、/b/ を発音する時の舌の実際の位置はどうなのか

・ten cars /teŋ kɑːz/ を /n/ で表現したらネイティブの耳にはどう聞こえるのか

・send - sent などの対比において pre-fortis clipping が発生する理由、

といった点を、ネイティブの音声学専門家に直接尋ねることができて大変勉強になりました。

 

他のメンバーからも活発な質問があり、例えばアメリカ発音における tap音 /ɾ/ と /d/ は何が違うのか、などの質問があり、解答を通じて自分がまだよく理解していない点にも気付かされたのも大きな収穫でした。また、講師からリンキングが自然な英語発話にとっていかに大切か、逆にいえばリンキングなしで話した場合、それがネイティブにどの様な印象を与えるのかや、 bit - bid - beat - bead といった単語において、母音 clipping の程度を正確に保つことの大切さ、などの話もあり非常に面白かったです。更に、音声学の教授だけあって、英語以外の様々な言語の事象にも精通しており、それを英語に逆照射することで英語の特性を浮かび上がらす様子は流石だな、と思いました。自分にとっても今後の大きな課題です。

 

(21:15-23:55 Break)

 

23:55-24:55 Questions & Answers 

今回の講座を締めくくったのは、事前に受講生から募った質問に回答者たちが答えるというQ&Aセッションです。質問の締切は現地時間の水曜日の午後だったので、私は火曜の夜に送付しておきました。回答者は Dr. Lindsey, Prof. Setter, L. Nicholson といった錚々たるメンバーです。参加者は約100名いるので、さぞかし多数の質問が寄せられるものと思いましたが、意外にも集まった質問は40個程度でした(投稿はアプリを通じてだったので寄せられた質問が一覧できました)。

 

質問の範疇は、1. Intonation, 2. Pronunciation, 3. General advice の3つに分けられ、それぞれにつき6個、9個、3個の計18個の質問に対して回答がありました。私は日頃から疑問に思っていた点を解消するまたとない機会と思ったので、欲張って7つほど提出したところ、以下の5つに回答してもらうことができました。斯界において著名な方々から、これらの質問に対して直々に具体的、かつポイントを得たアドバイスを得られたのは、実に得難い経験でした。

 

・声の音域を広げる練習方法

・日本人に多くみられる声門閉鎖の多用を防ぐにはどうすればいいのか

・破擦音間に同化が起こらない理由

・/r/ 練習時における円唇化の程度

・/j/ の正しい音色について

 

なお、質問範疇 3. General advice では、IPA Certificate Exam 受験対策としてどのような本やオンラインコースがあるか、との質問がでました。これに対しては、「実はあまりない。過去の問題にあたったり、来年開催されるかもしれない本講座の IPA strand に参加することが考えられる」との回答でした。ロンドンで開催される IPA Certificate の受験を具体的に考えている受講生の存在を身近に感じたことは、自分にとっても大きな刺激となりました。 また、英語発音講師として働くにあたって、IPA Certificate の他に目標とすべき世界的に認知されている資格・学位はあるのか、という質問には、「特にないと思う」が答えでした。

振り返ってみて

コロナが直接の理由とはいえ、SCEPが100年前に開講されて以来、初めてのオンライン講座に参加できたのは大変幸運なことでした。自宅に居ながらにして、一流の教員との双方向コミュニケーションも可能な、ロンドンからのライブ講座に参加できるというのは正にITの恩恵です。費用面に加えて、長距離フライトによる体への負担、食事、睡眠、空調といった住環境への心配が不要なこともオンライン方式のメリットです。一方、通信が遅延したり、お互いの音声が被りがちであること、講師や学友たちとの生身の交流ができない、というのはオンライン方式の不利な点かと思います。それぞれ一長一短はあるかと思いますが、願わくば、例年通りのフルスペックの実地講義に加えて、今年のような簡易版オンライン講座も並行して毎年開催して頂きたいと思います。

 

今回 SCEP を受講して良かったのは、英語音声学の世界では恐らく知らぬ人はいないであろう一流の音声学者たちから、イギリス英語発音に関する最新の動向を聞けたことです。英語音声学の始祖ともいえる D. Jones や、イントネーションに関する著書で有名な J. C. Wells に関しても、正しくない、あるいは既に時代遅れである点についてはきちんと批判していたのが印象的でした。また、practical class にて担当 tutor に質問したり、Q&A セッションにて質問が採り上げられたことで、それまでの数々の疑問点が氷解したのも大きな成果です。これらの成果は今後のレッスンの中で還元していきたいと思います。

 

また、今回の講座を通じて、自分の音声学や音韻論といった専門知識がまだまだ十分でないという点を再認識できたこともプラスでした。アカデミアの最前線で切磋琢磨された講師たちの見識に感服すると同時に、自分が為すべきこともまだまだある、との思いを新たにしました。

certificate
Class 2021